2026.05.26
石膏像ラオコーン
一般教室の5月6月のセットモチーフの石膏像は、『笛を吹く女』と『ラオコーン』です。
『笛を吹く女』の紹介は2022年8月投稿の記事を遡って観ていただくとして、
今回は『ラオコーン』を紹介。
『トロイの木馬』をご存じでしょうか。
コンピューターウイルスの呼称として有名ですが、本来はギリシャ神話におけるギリシア連合軍とトロイア(トロイ)の戦い「トロイア戦争」に登場してくる巨大な木馬のことです。
戦争時にギリシア連合軍は、なかなか攻め落とす事のできないトロイアに対して和睦を申し入れる贈り物として巨大木馬を用意します。それをトロイアは受取り城壁内に引き入れることになるのですが、その内部に潜んでいた連合軍兵士が忍び出て、城壁内部から門を開け放って軍を侵入させ、トロイアを滅亡に追い込み戦争を終結させた、といったものが『トロイの木馬』の逸話です。
このように、内通者などを忍び込ませて巧妙に相手をおとしいれる罠を「トロイの木馬」と呼ぶ慣用句となっていることから、現代ではコンピューターウイルスの呼称になっています。
さてラオコーンはというと、そのトロイア戦争におけるトロイア側の神官(僧侶)でした。
贈り物の巨大木馬は罠であることを見切り、木馬へ槍を突き立てたのですが、ギリシャに味方していた女神アテナは怒りから、海蛇にラオコーンと二人の子供を襲わせて殺してしまいます。
その苦痛の姿がラオコーン像なんです…
悲しいお話なんです…
そんな物語はさておき、
この『ラオコーン像』はヘレニズム美術の代表的彫刻。
バチカン美術館に所蔵されている古代ギリシアの大理石製の彫像で、作者はロドス島出身のアゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロスの三人の彫刻家とされています。
ルネッサンス期である1506年にローマのネロ帝の宮殿跡の葡萄畠から発掘されたラオコーン群像は、大きな注目を集めます。
当時の法王ユリウス二世から”古代遺物監督官”に任命されていたミケランジェロは、その発掘現場におもむいて見た像を「芸術の奇蹟」と感嘆したと言われており、ミケランジェロ作の「瀕死の奴隷」像にも影響が及んでいると思われています。
そして同時に多くの芸術家達にも多大な影響をあたえました。
ちなみに、『ラオコーン像』の逸話として興味深いのが、修復に関してのお話。
発掘当時、ラオコーンの右腕や左右の息子たちの腕や手は損壊して失われていました。
当時の芸術家や鑑定家たちは、失われた腕が元々どのような形だったのかを議論しており、ミケランジェロは、ラオコーンの右腕は肩を越えて背中に回っていたのではないかと考えたのに対して、右腕は大きく広げられている方が英雄の像としては相応しいとする者もいたそうです。
様々ある意見をまとめようと教皇は、彫刻家たちを対象に「失われた腕がどのようなものだったのかを決めるコンテスト」を企画し、審査をラファエロに任せます。
このような研究や修復は現代でも芸術家が行うことを理解してはいますが、美大受験において身近な石膏像を、偉人でしかも豪華な面々が関係していたのかと思うとミーハー気分でワクワクしてしまいました☆
そしてコンテストの結果、ラオコーンの右腕は大きく伸ばされた状態(画像B)が相応しいと判断されて修復されます。
そして20世紀に入った1906年、考古学者で美術商でバッラッコ美術館長のルートヴィヒ・ポラックが、大理石で出来た右腕の破片の彫刻をローマで発見!
ラオコーン像と様式が似ていることからバチカン美術館に右腕の彫刻を持ち込んだのですが、バチカン美術館は半世紀の間放置…1950年代にようやくこの右腕がオリジナルのラオコーン像のものであると鑑定した結果、ミケランジェロが推測していた「右腕は肩を越えて背中に回っていたのではないか」の説の通りだったのです!
さすが天才ミケランジェロ!
その後彫像は一旦解体され、この曲がった右腕が新しく取り付けられて再び組み直され、以前の修復で取り付けられた二人の息子の腕と手は除去されたそうです。(画像A)
発見から400年の時を超えて見えてくる伏線話は面白いですね。
◎一般教室のモチーフセットスペースでは、石膏像2種、静物2種の計4セットが2か月毎に組み替えられます。
『笛を吹く女』の紹介は2022年8月投稿の記事を遡って観ていただくとして、
今回は『ラオコーン』を紹介。
『トロイの木馬』をご存じでしょうか。
コンピューターウイルスの呼称として有名ですが、本来はギリシャ神話におけるギリシア連合軍とトロイア(トロイ)の戦い「トロイア戦争」に登場してくる巨大な木馬のことです。
戦争時にギリシア連合軍は、なかなか攻め落とす事のできないトロイアに対して和睦を申し入れる贈り物として巨大木馬を用意します。それをトロイアは受取り城壁内に引き入れることになるのですが、その内部に潜んでいた連合軍兵士が忍び出て、城壁内部から門を開け放って軍を侵入させ、トロイアを滅亡に追い込み戦争を終結させた、といったものが『トロイの木馬』の逸話です。
このように、内通者などを忍び込ませて巧妙に相手をおとしいれる罠を「トロイの木馬」と呼ぶ慣用句となっていることから、現代ではコンピューターウイルスの呼称になっています。
さてラオコーンはというと、そのトロイア戦争におけるトロイア側の神官(僧侶)でした。
贈り物の巨大木馬は罠であることを見切り、木馬へ槍を突き立てたのですが、ギリシャに味方していた女神アテナは怒りから、海蛇にラオコーンと二人の子供を襲わせて殺してしまいます。
その苦痛の姿がラオコーン像なんです…
悲しいお話なんです…
そんな物語はさておき、
この『ラオコーン像』はヘレニズム美術の代表的彫刻。
バチカン美術館に所蔵されている古代ギリシアの大理石製の彫像で、作者はロドス島出身のアゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロスの三人の彫刻家とされています。
ルネッサンス期である1506年にローマのネロ帝の宮殿跡の葡萄畠から発掘されたラオコーン群像は、大きな注目を集めます。
当時の法王ユリウス二世から”古代遺物監督官”に任命されていたミケランジェロは、その発掘現場におもむいて見た像を「芸術の奇蹟」と感嘆したと言われており、ミケランジェロ作の「瀕死の奴隷」像にも影響が及んでいると思われています。
そして同時に多くの芸術家達にも多大な影響をあたえました。
ちなみに、『ラオコーン像』の逸話として興味深いのが、修復に関してのお話。
発掘当時、ラオコーンの右腕や左右の息子たちの腕や手は損壊して失われていました。
当時の芸術家や鑑定家たちは、失われた腕が元々どのような形だったのかを議論しており、ミケランジェロは、ラオコーンの右腕は肩を越えて背中に回っていたのではないかと考えたのに対して、右腕は大きく広げられている方が英雄の像としては相応しいとする者もいたそうです。
様々ある意見をまとめようと教皇は、彫刻家たちを対象に「失われた腕がどのようなものだったのかを決めるコンテスト」を企画し、審査をラファエロに任せます。
このような研究や修復は現代でも芸術家が行うことを理解してはいますが、美大受験において身近な石膏像を、偉人でしかも豪華な面々が関係していたのかと思うとミーハー気分でワクワクしてしまいました☆
そしてコンテストの結果、ラオコーンの右腕は大きく伸ばされた状態(画像B)が相応しいと判断されて修復されます。
そして20世紀に入った1906年、考古学者で美術商でバッラッコ美術館長のルートヴィヒ・ポラックが、大理石で出来た右腕の破片の彫刻をローマで発見!
ラオコーン像と様式が似ていることからバチカン美術館に右腕の彫刻を持ち込んだのですが、バチカン美術館は半世紀の間放置…1950年代にようやくこの右腕がオリジナルのラオコーン像のものであると鑑定した結果、ミケランジェロが推測していた「右腕は肩を越えて背中に回っていたのではないか」の説の通りだったのです!
さすが天才ミケランジェロ!
その後彫像は一旦解体され、この曲がった右腕が新しく取り付けられて再び組み直され、以前の修復で取り付けられた二人の息子の腕と手は除去されたそうです。(画像A)
発見から400年の時を超えて見えてくる伏線話は面白いですね。
◎一般教室のモチーフセットスペースでは、石膏像2種、静物2種の計4セットが2か月毎に組み替えられます。
